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ご入居者様家族様からの声

トップページ > 北九州市小倉南区の介護付有料老人ホーム わらべの里「ご入居者様家族様からの声」
わらべの里 岡田施設長、施設の皆さま (2025/03/23)
これまで長きに渡り大変お世話になりました。
2月16日に死去しました田中秀子の孫の田中雄大です。
この度は、祖父母の敏郎と、秀子に対して生前大変良くして頂きましたお礼を兼ねまして、お手紙を書かせて頂きました。

わらべの里にお世話になるきっかけとなりましたのは、10年程前に祖母秀子が患った骨髄腫がきっかけと記憶しています。
祖父が長年、目が不自由でありまして、祖母の介護なくしては、生活が難しい状況にありました。
祖母の病状が進行するなかで、これからの生活を検討するにあたり、祖父母の家で両親が介護をしながら生活をするか、介護施設に入所して生活をするか検討して参りました。
この頃の祖母の意向は「長年慣れ親しんだ我が家で変わらずに生活をしたい」というものでした。
しかしながら、その意向を叶えるとしたら、祖父母の介護で母が疲弊しきった姿を想像するに容易いものでいした。
この状況を鑑み「介護施設に入所してもらう」決断をしました。

ここから、介護施設を北九州市とその周辺で探しましたが、その際の基準は「自らが入っても納得がいく施設」でした。
介護施設を探すうえでご助力頂いたお会社様に恵まれて、わらべの里とご縁ができました。

祖母が入所して3年くらいは、祖母の中で慣れ親しんだ家に帰りたい気持ちや、施設で生活する事への葛藤が垣間見えて、申し訳ないと思うこともしばしありました。
ただ、この様な状況下でも、岡田施設長や施設の皆様は変わらずに明るく祖母に接して頂き、祖母が少しずつわらべの里を受け入れていく姿を目の当たりにしていました。

そして、時が進み、今年の1月下旬のことです。
母から私に「祖母の治療がこれ以上難しい」と電話がありました。
この電話の2日後に祖母が入院している病院に行き、祖母を見て、もって1か月だと実感しました。
そして、父とこのまま病院で治療を続けるか、わらべの里に帰るか祖母に尋ねました。
すると、はっきりと「わらべの里」と答えました。

そこから、岡田施設長に祖母を受け入れて頂けるかご相談をしたところ「早く帰っておいで。」とお言葉を頂きました。
また、藤本ケアマネジャーには、現実的にわらべの里に帰る際には、看取りになることなど、詳しくご説明をいただきました。
病院からわらべの里に戻り、亡くなるまで、約2週間でしたが、入院中は食が進まなかったなかで、わらべの里のご飯を美味しそうに食べている動画が母から送られてきました。
この動画が、祖母が自らの意思で食を楽しんだ食事でした。
また、わらべの里に帰って、柔らかい陽が当たり、雀のさえずりが聞こえるお部屋で最期の日々を過ごさせて頂きました。

祖母の看取りは、危篤と診断があり、3日間の長さに渡りました。
この3日間、介護の方に身体を何度も綺麗にして頂き、看護の方には、口内ケアや血圧等の状態の管理など、最後まで丁寧に扱って頂きました。
また、私たち親族にも励ましのお言葉を頂戴し、終始安心して過ごさせて頂きました。
岡田施設長を始め、わらべの里の皆さまに多くのご助力を頂いたため、最期に穏やかな時間のなかで看取りができました。

また、祖母の葬儀の祈りには、施設の皆さまに弔問に来て頂きました。
一人ひとりの施設の方が、祖母にお声掛けを頂き、施設での祖母のお話を私たちにしてくださり、私達の知らない所で、祖母のストーリーがしっかりと積み上がっていたんだと染み染みと思った次第です。

祖父母がわらべの里にお世話になり10年間。
私も何度も通わせて頂きました。
福岡市の街並みから、小倉南インターに向かう途中に自然豊かな景色に少しずつ変わりながら、美しい竹林と石炭土の歴史が残る山系が調和する景色となったところで、わらべの里に到着していた思い出が懐かしく思います。

最後になりますが、親族一同、わらべの里にご縁があって良かったと心から思わせて頂きました。
この様な温かい気持ちで祖父母を看取れた事も、岡田施設長を始め、施設の全ての皆さまのお力添えのうえでの事と思います。
10年の長きに渡り、大変お世話になりました。
また、近くに寄った際には、ご挨拶に伺います。

2025年2月25日  田中 雄大
わらべの里 岡田様 職員のみな様 (2021.10.11)
先日亡くなりました田中敏郎の孫の田中雄大です。

祖父の生前はとてもお世話になりました。
最近は入退院を繰り返し、体調も優れず 岡田様を始め 職員の皆様には、ご負担をお掛けした事と思います。

少し長くなりますが、祖父の代わりに、皆様に感謝の言葉を伝えさせてください。

わらべの里に祖父を入居させたいと父に伝えたのは私です。
祖父がお世話になる前は、2年程、他の施設でお世話になっていました。
私が東京から帰って来た際に祖父に会いに、わらべの里にお世話になる前の施設に伺ったところ、暗く狭い部屋に敷いた薄い布団の上で祖父が座ってラジオを聞いていました。
私は、この姿を見て、目が見えず苦労を重ねてきた祖父の人生最後の時間をこの施設で過ごさせてはいけないと思い、北九州中の老人ホームを調べて見学して出会ったのが、わらべの里でした。
わらべの里の岡田様を始め、職員の皆様の優しさ、設備や環境の良さから、父に祖父を入居させたいとお願いをしました。

わらべの里にお世話になってから、会いに行くたびに祖父は楽しそうにしていて、私はとても嬉しかったです。
また、ホームページに掲載頂いている色々なイベントでいつも1番前の席で楽しそうにしている祖父を見ると涙が溢れますが、苦労が多かった祖父の最後の時間に楽しい思い出をたくさん作って頂いた皆様には感謝しかありません。

私の最後の祖父との思い出は、祖父に会いに行くと決まって近くの田んぼまで散歩に行っていました。
そこの田んぼの近くにあるブロックに2人で腰掛けて色々な話ができました。

また、葬儀の際も立派な供花を賜りありがとうございました。
葬儀当日も施設の方に来て頂き、涙を流して頂いた姿を拝見し、本当に暖かい職員の皆様がいるわらべの里に祖父をお願いして良かったと、まだ祖父のために出来たのではないかとの私の後悔を癒して頂いています。

最後になりますが、今後も祖母がお世話になっておりますので、コロナの状況を見つつ、伺わせて頂きたいと思います。
ご迷惑やご苦労をお掛けする事もあるかと思いますが、これからもよろしくお願いします。

田中敏郎・秀子の孫 田中雄大
わらべの里 施設長 岡田 学 様 (2017/09/29)
 母がわらべの里に入居したのは94歳の時でした。
 それまで自宅で1人暮らしをしていましたが、ふとしたことで転倒し、大腿骨と手首を骨折して労災病院に入院しました。手術を嫌がったため車椅子生活を余儀なくされ、老人ホームに入ることにしました。
 ところが、なかなか母に適した施設が見つからず困っていたところ、このわらべの里のことを耳にしました。すぐに訪ねて詳しくお話を聞いた結果、ここが最適だと思い、入居させていただくことにしました。
 緑豊かな場所にあり、清潔で温かい雰囲気の館内。施設長のお兄さんが経営されているクリニックもすぐ近くにあり、健康管理も万全で、いつでも往診していただけることから安心だと思ったからです。
 7年半もお世話になりましたが、いつも館内がきれいに整備されており、イベントも満載で、配慮の行き届いた食事、手造りのおやつもあって、母も快適に過ごすことができました。
 何度か夜中に熱を出したりしましたが、その都度しっかり対応していただき、すぐに元気になることができました。
 行き届いたケアのお蔭か、3年、5年と過ぎても、時間が止まったように老けないのが不思議でした。
 102歳近くまでも長生きすることが出来たのは、施設長様をはじめスタッフの皆様の温かいご支援のお蔭だと深く感謝申し上げます。
 長い間、本当にありがとうございました。
わらべの里のますますのご繁栄を心よりお祈りいたします。
  平成29年9月1日    市川(能美)

わらべの里、施設長 岡田様 (2014/04/16)
 伯父が入居して早くも3年半が経ちましたが聞いていた通り快適な生活を提供していただける施設であることを実感しております。入居前に他の老人ホームも見て回りましたがどうしても入居者の保護を重視してか施設内での生活制約もあり、規則も厳しくて決して入居者にとって快適とはとても言いづらく伯父には勧められませんでした。わらべの里は他とは異なり入居者が自宅にいるような環境を与えてくれ、且つ健康管理もきっちりやっていただいているお陰で入居前よりも顔色も良くいきいきと暮らしています。
 毎年、桜や紫陽花などの花の美しい季節や紅葉の時期には皆で外食ツアーを計画され施設内に留まることなく外へ出かけることもあり外の空気にふれる機会もかなりあります。またここ志井の立地環境も良く、施設から眺める景色も街中の施設に無いものがあります。
 従業員の皆さんもとても良くしてくれ、快適な生活環境のなかで元気に長生き出来るような気がしています。

米井(友定) 2012.08.12
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